290-0025 千葉県市原市加茂1-7-9 唯心円成会発行
第300号 2009年12月


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「さらりと見すごせ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「なせば成る」

・・・
「毎年の習慣」

・・・「わかっちゃいるけど わかっちゃいない」

・・・・・・・・・・・・・・・「銀杏」(美好芳子)

WEBエンジョーのバックナンバー:299号









「さらりと見すごせ」

ある時ふと思いついた。嫌な事を思い出したら、それに考え込んだり、また忘れようとしたりせずに、
その事を「さらりと見すごせ」ということだ。

「ああ、そうか」と見すごす。これで流れ去っていく。
こうして人生はかなりうまく動いていく事を私は知った。



「なせば成る」

人には誰も、人生を支えている言葉があるものです。
私の場合は、小学校3年生の時の担任の女の先生から教えられた、次の言葉です。

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」
これは、米沢藩・上杉鷹山(ようざん)の言葉です。その言葉が空で言えるまで、何十回も暗唱させられました。
その意味は、「人が何かを為し遂げようという意思を持って行動するならば、何事も達成に向かっていく」というものです。

ですから、「ただ待っているだけで、何も行動を起こさないのなら、良い結果は決して生まれてこない」ことを教えてくれました。
当時十歳の心の中に「良い結果が得るには、為し遂げる意思を持って行動しなければならない」という考えを深く刻みこむことに結びつきました。

この言葉は、円成会で説かれるアラヤ識の考え方とは、少し趣を異にする感がありますが、
その原点を探れば同じ性質のものと考えることができます。

そこで、アラヤ識の働きを簡単に述べてみると、
「個人の願望をアラヤ識の中に強く念じておけば、時間が経つとその願望は叶えられていく」、といったものになるでしょう。
このままでは、「願望を入れさえすれば、何もしなくても、ただ待っているだけで願望は達成される」と理解されてしまいます。
もし、人の寿命が無限に長いものであれば、このやり方でもかまいません。
しかし実際には、願望が一日でも早く達成することを誰もが望んでいます。

そこで、願望達成の時期を早めるための方法を考えてみましょう。
秘訣は、「人生における全てのチャンスは、人を通じてもたらされる」という言葉に表されます。
「人を通じて」ということは、他人が自分に対して「良いことをしてくれる状態」へもって行くことです。
少し考えてみましょう。あなたが他の誰かに、「何か良い事をしてあげよう」と思った瞬間を思い起こしてください。
その瞬間、あなたの心の中には、その人に対する「好意」が必ず存在していたはずです。

アラヤ識に入れた願望を達成する絶対条件である「人から好意を受ける」には、
「人から好かれる」ことが何よりも大切であることがお分かりでしょう。
この「人から好かれる」一番の近道は、「どの人に対しても好意を持って接する」ことです。

そのためには、「相手の立場に立ってものが考えられる」ことが第一歩になります。
その上で、あなたが浮かべる笑顔は、その都度、相手の心に好意を生むことでしょう。

こうした点から、上杉鷹山の言葉とアラヤ識の考えは結びついていきます。
上杉鷹山の「為さねば成らぬ」をアラヤ識の流れに沿って言い換えてみましょう。

1)「為す」は、闇雲に頑張ることを指すのではなく、人から好意を持ってもらう状況を作る行動を指します。

2)行動を起こす際は、自分の願望に直結した行動だけでなく、
一見すれば何の関連性もない行動であっても、こまめにこなしていくことです。

3)アラヤ識の働きを疑うことがなければ、思ったよりも早い時期に、
多くの人との間に結ばれた「好意ネットワーク」を通じて、願望達成に必要なチャンスがもたらされていきます。

4)人生の成功を実感する至福の瞬間は、「多くの人々との好意ネットワークの結びつき」が感じられる時です。

是非、皆さんも多くの人々に向けて、好意の発信を始めてみてください。
そのことによりアラヤ識は皆様の願望に合わせて、人生の「ツキ」を大きく回し始めていくことでしょう。





もうすぐ2009年も終わりです。
お次の2010という4桁の数字はものすごい未来的な匂いがします。本当に早いものです。

新しい年を迎える季節になると、来年こそはコレをやろう、アレをしようと意気込むわけですが
また1月の中旬になるころには先月の自分と寸分違わない自分を再発見したりします。

毎年恒例の行事になりつつありますが、今回は早起きの習慣を身につけることを目標にしたいと思っています。
習慣とは本当に恐ろしいもので、毒にも薬にもなります。

良い習慣を身につけられる習慣を身につけたい、とぼんやり考えているわたしには早起きの習慣すら険しい道なのです。


「わかっちゃいるけど わかっちゃいない」

今年は色々と考える事があって、七年間通ったスポーツクラブを退会した。
そのかわり雨でない日は、努めて朝40〜50分の散歩を兼ねて歩いている。

以前に歩いていたコースは「熊がでた」と聞かされてからやめた。
そんな事とは露知らずずーっと一人で歩いていたのに、もう恐くて歩けない。
今のコースは、イノシシ、カモシカ、狸などには出会うけど、熊が出るとはまだ聞いていないので、気にいって歩いている。
片側は木曽川が流れ、もう一方は切り立った崖の道だ。
人や車の通らない静かなこところを歩きたいけれど、熊だけは恐い。

先日は野犬2匹に出会った。熊も恐いが、野犬も恐い。
噛み付かれたらどうしようと、一瞬冷や汗が出たけれど「空気になればいいのだ」と思い、
恐れや不安、怒りを心からはらって、何も目に入らない振りをして歩いて行ったら、
野犬達も私の存在に気づかないようにすれ違っていった。
日ごろの瞑想が少しは役に立ったかなと嬉しかったけれど、ただの目の悪い犬だっただけかもしれない。
熊のときは、いくら唯心円成会の会員でもこんなわけにはいかないだろうから、早く鈴を買ってこようと思っている。

以前からドライブがてらに都会から、犬やネコを捨てていく人がいる。
犬は一箇所に居ないけど、ネコは散歩のときに合うことが多い。
顔なじみになっても、家にもネコがいるし、野良には野良のプライドがあり、近寄ってきて助けを乞うたりはしない。
春から秋までは、野鼠でも食べて生きているだろうけど、冬は越せないだろうと思うと心が痛む。

顔なじみになった茶色の野良とは、3mくらい近くで対話できるようになった。
いつものように、連れて帰れない事情と話し「ごめんね」と謝り「がんばって冬を越すんだよ」と話しかけた。
いつもしている事なのに、今朝はふっと夫のことが思い浮かんだ。
私はこんな優しい心と言葉で夫にこの1年話しかけたことがあっただろうかと。

野の花やネコには、天女の羽衣のような優しい心で接することができるのに、夫となるとそうはいかないのだ。
自分の思うように動いてくれないとイライラし、普段は夫を押しのけ前を歩いているのに、
困った時だけ「あんた男でしょ」なんて男にされたり、家長としての責任を迫られたりと、全く勝手だなあと思う。

これこそ自分本位な甘えにすぎない。
いつもそのくらいの事はわかっているつもり、反省しているつもりなのに、反省は2日ともたない。
野の花や、ネコにはこんなに優しい私がどうして?

そうだ!!

野の花や野良猫には期待や甘えもなく、利害もないから優しくなれるだけのこと。
私が決して心優しい慈愛慈悲にあふれた人間ではないということが少し分かった気がした。

こんな簡単なことも分からず、60数年も人間やっていたなあと、やっと気がついた。

「わかっちゃいるけど、やめられない」と思っていたけれど、ちっとも「わかっちゃいなかった」ということが、
ちょっと分かった気がした。

夫はネコとは違うのだから、無理して優しくしなくちゃとか、イライラしてはいけないと思わなくていいんだと気がついたら、
ちょっと気が楽になって優しくなれそうな気になった・・・??
本当にわかったのかなあ。



 美好芳子  銀杏(いちょう)長寿・永遠の価値

「とある日の いちょうもみじの 遠眺め」 久保田万太郎




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