290-0025 千葉県市原市加茂1-7-9 唯心円成会発行
第306号 2010年6月号


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・好悪の感情

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・人とつながることの価値

マシュマロと子供達の成功

・・・・・・・・・・・・・・・「撫子」(美好芳子)

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私の好きな言葉の一つに、
「哲学とは、自分の幸福が外からの事柄にできるだけ左右されぬように心掛けて生きることである」(エピクトテス、ローマ時代の哲学者)があります。

私は、哲学とは自分を悩ませないための思考法である、と至極単純に割り切っているのです。
多くの人々の錯覚は、人間の体の外部にすでに自分を悩ます元凶が巌として存在しており、
それがそのまま自分の内に暴れ込んでくるのだと思っている点にあります。これはそうではないのです。

外部にあるものは、悩みの実体ではなく、その悩みを生じさせる「きっかけ」にしか過ぎないことがほとんどなのです。
この「きかっけ」が新情報として、五官のいずれかを通じて体内(または心内)に侵入してきますと、
これをその人の内にあらかじめ待機していた「好悪の感情」が迎え撃つのであります。

そして、しばしば混乱が生じ、その人の意識上に不快感が発生し、これがもとで不都合きわまる運命さえ展開することになるのです。
外からの事柄、外界からの刺激、多くの人々はそれをコントロールすることもなく、
易易とその大波に自分の身を任せ、翻弄されてしまいます。
これはつまり、前記エピクトテスの言葉を借りれば、これらの人々は哲学していないということになります。



      

人との付き合い方について、日本全体が大変おかしな状態になってしまった。
特に、十歳代から三十歳代の男女を見ると、「ケイタイ」を中心にして、従来の日本人の付き合い方とは全く違ったものになっている。

その実態は、夕方の通勤帰りの電車の車内をみれば明らかだ。
横にずらりと並んだ電車のシートに座る全員がそれぞれ携帯メールに見入るか、または一心にメールを打ち込んでいる。
この不気味な情景は、20年前ではSF映画のシーンでしか見られなかったが、現実的に今起きてしまっている。

近頃の若い社員は、終業時間になると、仕事仲間と飲んだりするよりは、
途中で寄り道することなく自宅へ一直線に帰るのを好む。
その訳を尋ねると、「自分の部屋で、自分が好きなことができるから」といった答えが返ってくる。
「自分が好きなこと」の中身を聞いてみれば、インターネットで知り合った仲間とネット上で会話することに無上の喜びを感じている。

最近ブームになっている「ツイッター(つぶやき、の意味)」のサイトでは、
他人が発信する四、五行ほどの書き込みを見て、それに返答する。
これらは、どれも実際に人と会うのではなく、インターネットやメールだけを通じた非対面型の接触の仕方である。
ネット上で幾度となく対話を重ねていても、実際には一度も会ったことがない相手に対して、
「世の中で自分のことを一番理解してくれている大切な友達」と感じてしまっている。

こうした人たちに、「ネットよりも、実際に人と会って話をした方が面白いんじゃないかな」と尋ねてみると、
そこからは意外な答えが返ってくる。
「実際に人と会うと、会うために時間を決めたり、会うために時間を取られたりする。それよりは、ネットだと自分が好きな時に相手と対話できるからお互いに都合がいい。」

そこで、こうしたネット友達と毎日対話を楽しむ若い世代の人達が主張する
「常に人とつながっていることが大切」という価値観について考えてみたい。

携帯メールでやりとりする時の「今何してる?」といった平易なメッセージ内容から類推すると、
この人たちの心の底にあるのは、不安感や脅迫観念に近いものと類推できる。
不安を抱く者同士が、現状を慰める形でメールのやりとりを行う。
現に、携帯メールの返信がない日にはかなり気分が落ち込んでしまうようだから。

日本社会が成熟経済に入ってからは、雇用体系も個人でリスクを背負うようになり、
終身雇用が一般的であった時のような安定した将来像は描けない。
そのため、若い世代は明確な答えが見つからないまま、将来不安を感じて生きている。
その中では、親しい人とのメールを通じた本音コミュニケーションが取れることが唯一の精神的な拠り所になっている。

仏教で説かれる地獄の一つに「孤独地獄」がある。
この孤独地獄は、どこにでも忽然と現れるので、目前の世界がすぐそのまま、地獄の苦しさを呈することになる。
そのため、生きている時から、人々は孤独地獄に苦しめられることになる。
孤独感は耐え難いため、人間は一人だけでは寂しくて生きていけない。そのために、人との親しいつながりを求める。
この世の中の喜びの全ては人とつながることから生じている。そのことを若い世代の人たちに伝えてあげなければならない。

これまでのメールやインターネットを通じたコミュニケーションから一度離れて、
実際に人と会ってその表情や感情を組み入れたコミュニケーションに慣れることを勧めてみよう。
そうした経験から、今までとは全く違う、味わい深い新たな人生が開けていくことを教えてあげよう。
社会を良くするためにも、そうすることは、長く生きてきた大人の務めであろう。





ちょっと面白い実験の話を聞いたのでそれをもとにお話しします。


いまから15年前に4歳の子供たちを対象にした実験が行われました。その実験の内容はこうです。
4歳の子供を大人がいない部屋に入れてお皿の上にマシュマロをぽんっと、ひとつ置きます。

そこで子供に伝えます。

「15分後、わたしが戻ってきたときにマシュマロがまだ残っていたらもうひとつ、合計でふたつのマシュマロをあげるよ」

みなさんが4歳のときだったらどうしてましたか。

この実験で70%の子供が我慢できずにマシュマロを食べてしまいます。
扉が閉まった直後に食べた子もいれば14分半で食べてしまった子もいます。

子供たちにこの実験を行った人間は15年後に19歳に成長した子供たちを探しました。
成長した彼らを見てあることに気付きます。
それはマシュマロを15分間我慢してもうひとつのマシュマロを得た30%の子供たちの人生の充実です。

彼らはすばらしい環境で学ぶことを喜び、家族とのコミニュケーションも円満で、
友人や大学の先生たちと良い関係を築き、将来の展望に希望を持っていました。
彼らは4歳のときに既に成功するために必要なことを知っていたのです。
わたしたちが一番知りたいことを4歳のときに既に。

それは「楽しみを後に取っておく能力」です。自制や我慢とは少しだけニュアンスの違う、
もっともっと物欲を突き詰めた先にある必要知を持っていたのです。
30%の子はただ我慢ができる子たちではありません。
本当にマシュマロの魅力を知っていて、本当にマシュマロを欲していた子たちです。
自制ができるというようなビューティフルな素質ではなくもっとエゴイスティックな感覚です。

「楽しみを後に取っておく」とは大変なことです。
そういうときはこの子たちのようにもっともっとその楽しみを欲しがりましょう。
中途半端に欲しがってはいけません。とことん欲しがりましょう。
普通は我慢をするために反対に欲しがらないように考えてしまいますが、
欲すること、それこそが「楽しみを後に取っておく」ために必要なことだったのです。
子供に学ぶことは多いですね。

余談ですが、この30%の子供たちのなかで一番大成した子は
「マシュマロの中身だけを食べておいしい思いをしながら、もうひとつのマシュマロを手にした女の子」だそうです。
子供に学ぶことは多いですね。まったく。


 美好芳子 撫子(なでしこ) 花言葉「思慕・純愛・才能・快活・至急・お見舞い」


■石竹(なでしこ)の、その花にもが、朝な朝な手に取り持ちて、恋ひぬ日無けむ■万葉集・大伴家持
                    

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