290-0025 千葉県市原市加茂1-7-9 唯心円成会発行
第313号 2011年1月号


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・煩悩を取り去るには

・・・・・・・・・・・・「至福の時」を重ねる年にしましょう

・・・・・・・・・・・・・・・「菊」(美好芳子)

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仏像彫刻家 高田慈眼(作)


 無能唱元


 
通常、何かの情報を得た時、それに対して起こる意識活動はほんの一瞬に思われますが、実は分解すると四段階を経ているのです。ほとんどの人はまったく無防備なまま、この四段階(受想 行識)の意識の推移を、成り行きにまかせたままでおります。そして、しばしば、この煩悩の海に落ちマイナス思考の中で苦しむことがあります。

この煩悩の海に落ちることなく、一歩手前で踏みとどまる方法があります。
それは、「受」と「想」の間に、もう少し長い時間を入れることです。すなわち「想」を始める前に、その情報を吟味調査するのです。そして この情報を、通過させるか、あるいはストップさせるか、あるいは廃棄してしまうかを決めるのです。

もしだれかがあなたのことを、馬鹿だと言って侮辱したとします。これを聞いたあなたは、まず、それは自分の意見ではない、と捉えます。
それはあなたを侮辱した人の意見です。あなたの意見ではありません。ですからあなたと相手の意見は一致していません。
 もしこのとき、受信した「あなたは馬鹿だ」というこの情報を内部に通過させて、「想」が発生したとします。 それが「何を!」とばかり怒りを発すれば、あなたの中に苦が発生したことになるのです。

彼の言ったことは、彼の意見に過ぎません。自分の意見でない、と断定したとき、その情報は廃棄されることになります。
あなたが、彼の言ったことを自分のことだと受け取った時のみ、その意見に反論しようとして、心に葛藤が起きるのです。

彼はただ、自分自身の感情、考え、意見を表明したのです。その人があなたに毒を送っても、もしあなたがそれを飲み込まなければ、害はなく、思い悩むことは生じません。

受信した瞬間、客観的にそれを観ることができれば、もはやそれは「想」には発展せず「苦」は発生しないのです。
こんな話を聞いたことがあります。

パリのモンマルトルは、絵描きが集まっていることで有名なところですが、彼らは、一緒になって、酒を飲み歓談していても、絵や美術のことを一切話題にしない、というのです。 なるほどと、私は思いました。誇り高き彼らが、仲間同士争わずにいるためのひとつの知恵なのです。

 武者小路実篤の書いた色紙に、こんな言葉がありました。
「君は君、僕は僕、そして仲良き」と。人々の意見が一致せず、しかも争わないとき、共生は初めて成り立つのです。=

市橋宗岳

新しい年が始まり、心が新しくなったような気がしたことでしょう。
「今年こそは」と決意するお正月は、心を改めるスタート・タイミングとしては最適でしょう。

そこで、「至福の時」を味わうための年に変えていく、新たな生き方についてお話ししましょう。
この「至福」とは、「この上もない幸せ」が感じられる心境を意味しています。

至福についてお話しするわけは、このことで自分の一生の価値が決まってしまうからです。
そのことは、人生の最期の場面から思い描くとよく分かるでしょう。(「元日や冥土の旅の一里塚」一休)

最期に当って大切なのは、「何も思い残すことがない、悔いのない、とても良い幸せな人生が送れた。」と感じながらこの世を旅立つことです。

その時の気分は、これまでにどれだけ多くの「質の高い至福の時」が持てたかによって決っていきます。
同時に、人生のフィナーレを「良い気分で旅立つ」ためには、その時に何一つ、この世に対する「悔いを残さない」で逝けることも大切です。その「悔い」の気持ちから、先ず考えてみましょう。

「悔い」は、他人が困っているのに援助の手をこまねいたり、自分のしたいことを我慢したり、実行を先送りして実現できなかったこと、から引き起こされます。

この中でも「先送りする」生き方が一番問題でしょう。なぜなら、若い頃に楽しめる感性を100とすれば、70歳での感性レベルは40まで落ちてしまいます。そのため、ずっと我慢の人生を送って、寿命の限界を感じたところになって、ようやく人生を楽しもうと発心しても、若い頃の至福感は味わえません。これは「赤いシャツは、それが似合う若いうち着ておけ」という、西洋のことわざの通りです。
ここで、至福感を積み重ねることの方に、話を戻しましょう。

まず、これまでの自分の人生を振り返り、至福を感じたと言い切れる場面が何回あったか、それを思い起こすことから始めてみてください。そのため、「この上もない幸せ」である至福が備えている条件を考えてみましょう。

至福の時には、必ず多幸感を伴った「感動」が起きていて、無上の喜びが、心を占めています。そのため、「これでもう思い残すことはない」といった気持ちが心に浮かんで、「このまま死んでも悔いはない」と思うことすらあります。

至福の時は、脳科学的に解釈すれば、情動脳支配型へスイッチが入ってしまい、それにより日常的な理性判断の方は、完全に沈黙してしまいます。こうした強い感情を伴った出来事は、情動脳の中のアーモンドブレーンに「長期記憶化」されます。そして、一生にわたり、その時の状況を詳細にわたり、いつまでもありありと思い出すことが可能になります。このことが、至福の時を積み重ねる重要性なのです。つまり、たくさんの至福の時を得れば、それは生涯にわたり「思い出しては、いつも楽しめる」貴重な財産になるからです。

(注意:アーモンドブレーンは、至福の時だけではなく、強い恐怖感を感じた悲惨な体験も長期記憶しています。これがPTSDです。それを思い出した途端、心には再び恐怖が湧いて、怯えが起きてきます。)

この至福の時を感じる時の条件が、いくつかあります。
第一に、「実際に初めて体験した場面」において感じることが多いようです。初めて味わう強烈な印象が感動を呼び起こします。「初めて」という条件がつくため、10才代から20才代の多感な時期に味わいます。この時期は、感動ホルモンのドーパミン分泌がピークを迎える時期とも重なっています。

第二に、「思いもよらない意外な展開から、自分が長く憧れていたことが実現した瞬間」に訪れてきます。意外性は、感動を呼び起こすスイッチの役割をしています。

第三に、「一緒に喜び、楽しんでくれる相手がいる」ことにより、感動は大きく膨らみます。

第四に、「自分が感動できる感性と体力を備えている」ことで、これを受け取ることができます。
こうした至福の時を築く前提条件としては、人生に「あこがれ」を抱くことです。既に中年の域に達している方でも、子供の頃に感じた「あこがれ」の気持ちを再び呼び起こしてみてください。「あこがれ」があればこそ、それが達成できた時の喜びは、ひとしお強く感じられるのです。

もしも、あなたが現在、何一つ憧れることなく生活を送るとしたら、最期に感じる人生への思いは、残念なものになるでしょう。最期を迎える時は、痛みが伴うことが多いため、決して快い状態ではありません。そのためにも、意識が薄れていく中で、一生の至福の場面が「走馬灯」スライドのように、次々と浮かんでいくのを見ながら「私の人生は、幸せだったな」と思える状況を、一生かけて築いていかなければならないのです。

至福の時を思い起こした感動記憶だけが、死に行く不安や苦痛を和らげてくれる妙薬になります。至福の積み上げだけが、その時を心安らかに送る唯一の「道」といえるのです。正に、「終わり良ければ、すべて良し」という言葉は、この最期の心境を表わすものなのでしょう。

 美好芳子  花言葉(高貴・高潔)

 ■今日はまた 今日のこころに菊暮るる (松尾いはほ)




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