290-0025 千葉県市原市加茂1-7-9 唯心円成会発行
第315号 2011年3月号


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・実体を理解する

・・・・・・・・・・・・正しいは間違いの元

ナマケモノと合理性

・・・・・・・・・・・・・・・「クリスマスローズ」(美好芳子)

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 無能唱元

「 無常」はあらゆる事物や現象に働いております。
しかし、人間たちは、そこに永遠不変の秩序をもたらそうとします。それは「道徳」「イデオロギー」「宗教」「国家」などの「共同幻想」を通じて行なわれます。

われわれ人間は「有限」 を嫌い「永遠の命」を求めます。そしてさまざまな「幻想」を、手をとりあって、打ち立てようとするのです。そして、それがグループや団体になるのです。

それはなぜでしょうか?

それは、人間は「有限なること」を恐れているからなのです。人間は永遠の生命を得て安心したいからなのです。

マルクスも、最終的には、宗教の天国にも匹敵する「共産国家」を夢見ました。われわれは、不安を克服するために、理想を設定し、しゃにむにそれに向かって前進し、今の恐怖を忘れたがっているようでもあります。

「すべては移り変りゆき、変わらざるもの一つだになし」
自らが高邁なるものと信ずるもの、それは主義主張から、宗教そして国家の理念に至るまで、すべては変わり、時に消滅してゆく運命から逃れることは決して出来ないものです。

そこで、しばらく立ち止まり、その「有限なるもの」をじっと見つめてみましょう。自らの「恐怖や「不安」について、ただありのままに、じっと観察してみましょう。

そこから逃れようとしたり、あるいは頭を振って忘れようとせず、また、ある哲学や、宗教に依存したりせず、ただ、その正体を無垢な目で直視し、その実体を理解するようにしてみましょう。

しばらくすると、心が静まっていきます。あらゆることが、どこにも片寄らず、はっきりと明瞭に見えてきます。

すると驚いたことに、何にも依存しないのに、その「恐怖」や「不安」が消えてしまうのです。そして、不思議な喜びさえ、やがて湧いてくるのです。

この時、あなたは初めて理解されるでしょう。
「あっ、これが真の瞑想なのだな!」と…。

 市橋宗岳

今から10年ほど前から、世間では論理思考がブームになってきました。

どんなことに対しても、論理立てをして、きちっと説明できることを「良し」としてきました。特にビジネスの世界では、この論理思考を用いて、すべての物事に黒白をつけることが推奨されました。

その裏返しとして、物事を曖昧にしておくことは「嫌われる」ようになりました。論理思考は、状況判断をする際など、自分の考えを整理するために有用な考え方です。ただし、論理思考には大きな問題が含まれています。それは、物事に黒白をつける過程においては、「正しい」か「間違い」か、といったように二者択一の形で分別しています。

ここで、現実の世界に話を少し戻して、考えてみましょう。
ここに、半袖のシャツを着た人がいます。もし今の季節が夏だとすれば、この人は「正しい」服装をしていると言えます。それが、季節が冬であれば、「間違った」服装をしていると判断されます。

その人が着ているシャツは同じでも、その時の状況によって正しかったり、間違ったりしています。
論理思考では、「季節という条件」を付けることで、このことに黒白をつけようとするでしょう。

こうした点について、無能唱元師は、「人が正義を振り回し始めると、不幸が生じてくる」と説かれます。この言葉を理解できれば、論理思考を貫き通す危険性も見えてくるでしょう。

つまり、世の中に「正しい」と断言できることなど、存在しないのです。そのことは、仏教の根本教理である「無常」の「時間が経過した後、変わらないものなど存在しない」という真理にも目覚めます。

こうしたことから、「世の中の有様に黒白など付けられるわけがない」ことに早く気がつけば、現実を直観できるように変れます。
ここから話を、「曖昧」の方に少し転じてみましょう。

人間にとって、この「曖昧」の状態こそ、実は「気持ち良い世界」です。あらゆる芸術は、すべて曖昧の世界に存在します。大ヒット映画作品やヒット曲を作る理論などは、どこにも存在していません。

逆に、論理正しさが強調される状況とは、「無味乾燥」で味気なく、ストレスすら感じてしまう、余り好まれない世界と表現できます。日本の社会は今、正しさや効率が強調されています。そして、様々な将来不安から、社会全体が沈滞ムードに陥ってしまいました。このまま放っておくと、否定的想念が社会全体に充満してしまいます。打開するため、この状況は何としても改善しなければなりません。

その妙薬について考えてみましょう。答えは、日本の伝統の中で続いてきた、「祭り」にあります。世の中で生活していれば、「嫌なこと」が8〜9割、「嬉しいこと」は1割程度でしょう。このバランスのまま、我慢して生活を続けていると「気が枯れて」しまい、遂には病気になってしまいます。この状態が、気が枯れる=「ケガレ」ですね。「病は気から」のあの「気」。この状況を悪化させないために、開催されてきた知恵が、「祭り」だったのです。

年に何回か開かれる「祭り」では、日頃の嫌なことも一切忘れて、歌い、踊って、「メチャクチャに大騒ぎ」をして「気晴らし」をしました。そのことで、次の何ヶ月間は「気が枯れることなく」、普段の生活を保つ知恵が、日本の「祭り」だったのです。今の日本を明るくするには、皆が忘れてしまった「祭り」の有用性についても、もう一度、精神衛生の観点から、見直さなければなりませんね。
この祭りが盛り上がる理由について、脳科学の観点から少しお話ししましょう。

お祭りの熱気、興奮を盛り上げる原点は、何と「音楽」にあったのです。人間の五感の中でも、特に音楽を聴くことにより、人は最も感動を起こしやすくなる事実が解明されました。太鼓のリズムに合わせて、単調な繰り返しメロディーに合わせて踊ることで、興奮して陶酔状態に入っていきます。

このことは、無能師がギター説法とも、深い関係がありそうです。円成会で美しいお声に聞き惚れると、心の窓が開いて、ご説法が心の一番奥にまで浸みこみました。「独居独想」の歌を皆で合唱した時には、心の中に深い感激が起って、情動が大きく揺さぶられて感動していましたね。

これからの生活の中で、8〜9割を占める「嫌なこと」に直面して心が疲れた時は、大好きな「音楽」三昧をされるとストレスも吹き飛んでしまうそうです。是非、試してみてください。

その上で、物事に一々黒白をつけることもなく。「曖昧さ」を保ちながらも、他人からそれを悟られることなく、うまく生活を送っていきましょう。

 
スティーブン・ジェームス

ナマケモノは中南米の熱帯雨林に住み、木の枝にぶら下がっている非常に動きののろい動物です。

彼らの怠けっぷりはすごいの一言です。動かないときは20時間以上も動かずに、その体にはコケが生え、虫まで湧いているというから相当な無精者です。

動かないのは汗をかかないようにする為。汗をかかなければ水場を探す必要もありません。植物の水分と雨露があれば充分なのです。

これらの事柄から見るとナマケモノが遂げた進化はとても合理的な進化です。そもそも進化とは合理的追求の結果としてあるものです。

もしナマケモノが大地を疾駆し、するどい爪で大きな獣を補食し、知恵とコミュニケーションを持って集団を作る動物だとしたら、それもまた彼らなりの合理性の追求だったわけです。

わたしたちも日々、合理的に生きるようになっています。望む、望まないに関わらず、合理的という病からの逃げ道は見つかりにくい。

気をつけなければならないのは、合理を追求する前の、根っこにある気持ちです。

ただ楽を欲するならば、願望と決別するのがもっとも手っ取り早いことなのでしょう。
諦観こそが合理的という誤った進化だけはしないようにしたいものです。
 美好芳子 クリスマスローズ
花言葉(大切な人・追憶)

 ■クリスマスローズ 気難しく 優しく」 後藤比奈夫









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