290-0025 千葉県市原市加茂1-7-9 唯心円成会発行

第317号 2011年5月号




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・他人への期待

・・・・・・・・・・・・お祭りこそ、大震災後の日本を元気にする特効薬

・・・・・・・・・・・・・・・「雛罌粟(ひなげし)(美好芳子)

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無能唱元

期待には、「他人への期待」というものがあります。他人と言っても、これは、自分以外の人の意味で、親子兄弟身内の人々を含みます。 いや、含むというより、圧倒的に近親者の場合のほうが多いのですが....。

私たちは、ほとんど常に、他人に何かを期待しています。
そして、この場合「期」は、たいていの場合、期限切れになっているのです。つまり、とっくの昔にその期待は裏切られており、しかもその後、何回も繰り返し裏切られていることが多いものです。 こうなると当然、欲求不満に陥ります。その時の日常的気分は、ピリピリ、カリカリ、イライラに侵されることになってしまいます。

では、それらの人に対する期待を、一切放棄してしまえばよいのでしょうか?

これも、ことによるでしょうが、一概に、そうとも言い切ってしまえぬ部分が、人間関係のしがらみにあるようです。
例えば、登校拒否の子供を説得して、学校へ行かそうとしている親の場合。
浪費好きの妻の経済観念を堅実にしてもらおうと願っている場合。
遅刻が多い従業員に、時間を守ってもらおうとする場合。

それらに対する期待が、繰り返し裏切られると、それは勢い、口うるさい小言から争いになり易く、その争いは期待する側の、生気エネルギーを衰退させるだけでなく、即、その人間関係まで破壊してしまうこともあります。

こんな場合、まず考慮すべきは、自分の身の保全だと私は考えるのです。

説得がすでに無駄であるとわかったとき、その説得を懲りることなく繰り返すのは、得策とは、言えません。しかも相手が、感情的になって、余計、事態を悪化させようとしているときはなおさらです。

そんなときは、まず自分をその期待から解放させましょう。そして、自分自身を自由にさせることです。
つまり、相手に要求するのをやめるのです。これは、我慢して、言うのを控えている段階ぐらいでは駄目なのです。期待を捨ててしまうことが必要です。

しかし、期待は捨てても、希望まで捨ててはいけない。相手が、そうなってほしいという望みは、心の内にじっと秘めておくことです。

そして、期待を捨てたまま、何事もない様に、相手と付き合い続けることで相手の言動が変わり、道が開けてくるかもしれないからです。

しかし、相手が変わらない場合でも、あなたは自分の身を守ることはできるのです。なぜなら、あなたは期待という足かせから放たれ、自由を得ていたからです。この自由は、あなたの免疫力を高め、あなたの人間力に寛容性や優しさをもたらします。

この自由さを得ることは、あなたの人生を幸せなものとするためにぜひとも必要なことなのです。
その意味でも、期待と希望の間に良き分別を立て、希望は失うことなく、期待は常に払い捨てつつ、人生を生き抜いて行くことこそ肝要であると思うのです。

市橋宗岳

3月11日の大震災を期して、日本全体が未曾有の不安と恐怖の世界に陥りました。

戦後66年間の日本について考えてみれば、我々は「天国」に住んでいたかの様に、平和と繁栄を享受していました。そうしたすべては、大震災によって、被災した人々の生活を地獄に堕ちたかのような状況に変えてしまいました。

今も解決の目途すら見えない大震災と原発事故が、国中の人々の心に悲しみと不安の気持ちを与え、気持ちを沈めています。
従来なら、春の到来を楽しむ桜の花見すら「自粛する」流れになっています。

大災害が起きたときに「がんばれ日本」と言ってみても、頭では分かっても、気持ちや体の方はなかなか思うように動じません。政府が「日本の景気をよくするために、どんどん買い物をしましょう、飲みにいきましょう」、といっても、その気になれる人はほとんどいないでしょう。このままいくと確実に、日本の社会は落ち込んでいき、日本崩壊のシナリオをたどることになります。そうならないために、沈滞する社会のムードを、何としてでも大きく変えていかなければなりません。

こうした目的にかなう、社会全体のムードを一気に陽気に転換できる特効薬が、昔から日本にはありました。それが、古来より続けられてきた、お祭りが果たした、社会的な効用でした。

明治時代の初め頃まで、日本の人口の9割以上が農業に従事しました。農耕機械などない、牛馬を買うお金もない農民にとっては、コメ作りの農作業は休む暇もない、非常に過酷な労働でした。

そうした農民にとって、春祭り、夏祭り、秋祭りによって労働意欲がかき立てられ、疲れを癒していました。こうした陽転思考に切り替える、又とない、実質的効果が期待された社会行事でした。現に、労働生産性も高めることにつながるので、日本全体で見ても、お祭りにかかる多くの費用も、その後の高い収穫レベルによって十分に賄われていたのです。

お祭りの特徴は、「非日常の世界」に存在することです。この期間だけは日常生活からは一切離れて、三日三晩お祭り騒ぎして、飲み明かし、羽目を外して仲間と共にはしゃいで楽しみました。

お祭りは「神事」でしたが、「神事が言い訳」になっている、そうした秘密が隠されています。
この点を脳科学から観察すると、お祭りの果たす大きな社会的効用が科学的に明らかになります。
その前に、人間の意欲を生み出す根源について知る必要があります。その根源は「頭」ではなく、「心」から湧き上がります。この「頭」は、理性を指します。これに対して、「心」は情動を指します。

これまでにも、たびたびお話ししてきたように、「人は本来、活動のうちの95%の部分は、情動によって司られている」のです。特に、「意欲をかき立てる」重要な働きは、情動によって起こされます。

理性は、活動する部分では5%の役割しか果たしません。それでも理性が過大視されているわけは、「自分で言葉にして表すことができる理性的な考え」であるからでしょう。

結果的に、理性は情動を強くコントロールして、情動が起こす意欲を抑えます。ところが、これが「神事」となれば「立派な言い訳」となって、理性の方は沈黙してしまいます。後は、情動だけの世界です。

過去何十年にわたる都市化と経済成長の蔭で、地域のお祭りは廃れました。人とお金が集まらないからです。また日本憲法は政府が宗教行事に関与すること、お金を使うことを禁止しています。それまでは日本の祝日は神事にちなんだ「祭日」であったものが、すべて無味乾燥なものに変えられました。

例えば誰の気持ちも興奮させない「海の日」。このように、戦後日本は、歴史的に国民の鋭気を再充電するエンジンの役割を果たした、お祭りの「言い訳」という大切な部分を(気付かずに)奪い取りました。

大震災復興と元気回復には日本政府も、これまで地域社会の元気を保ち「気晴らし効果」の特効薬であった、お祭りの開催に向けて、全面的にバックアップして地域振興を図るべきでしょう。

お祭り期間中は、無礼講でハチャメチャに大騒ぎすれば、誰の頭の中にドーパミンがどっと出て、地域社会は一気に活気づきます。「将来不安から気が枯れて元気のない日本男子」を、その気にさせることができれば、非婚・少子化の解決につながります。

ちなみにリオのカーニバル期間中、ブラジル政府は2千万個のコンドームを無料配布しました。
日本でもかつては村祭りが、未婚の男女にとって絶好の出合いの場でした。「お祭り気分」の中で若い男女が出会うわけですから、当然のことのように「大好き」情熱も一直線に高まったことでしょう。

今の日本全体を覆う陰鬱な空気から脱するためにも、この夏から日本中でお祭りを祝って、乱痴気騒ぎをすることの価値を見出していきましょう。幸いにも、青森のねぶた祭りは、例年通りに開催されて、「東北の元気を発信していく」と青森市長が発表しています。仙台の「七夕まつり」も開催に向けて動いています。皆様も、是非積極的にお祭り参加して、皆と一緒に仲良く、元気になりましょう。

 美好芳子 雛罌粟(ひなげし)
花言葉(慰め、いたわり、陽気で優しい)

スペインでは「アマポーラ」、フランスでは「コクリコ」と呼ばれる
ケシ科 アイスランドポピー
 




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