290-0025 千葉県市原市加茂1-7-9 唯心円成会発行

第318号 2011年6月号




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・全ては無記なるもの

・・・・・・・・・・・・「人から好かれる」と人生はうまく運ぶ 

・・・・・・・・・・・・・・・「クレマチス(美好芳子)

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無能唱元

仏典には「無記」という言葉があります。
無記とは「性質がない」という意味です。「万物万象は無記なるものである」と説かれています。これを平たく言えば、すべてのものは、善い悪いと決定されている ものはない、ということになります。

わかりやすい例をあげてみましょう。
ある男性が、美女と一夜を共にして、一切、手を出さなかったならば、「彼は紳士だった」と過去形では評せます。

しかし、その前日において「彼は紳士である」と現在形では言えません。なぜならば、この段階では、彼はまだ、紳士でも非紳士でもない無記なるものだからです。

正直は善であり、嘘は悪だと、多くの人は決めつけがちですが、残酷で人を傷つける正直もあれば、人を慰め、勇気づける嘘もあります。つまり、その両者は無記なるもの であり、そこから善悪のどちらかを引き出すかは、人間の選択に任されているのです。

「選択は、その個人に任されている」、このことを、わきまえていることは、大切なことです。
なぜなら、善悪正邪は、人間が、その時、その場において、選択されたものによって表現されるからです。すなわち、それは、創造されるものなのです。

しかし、大多数のひとは、それは「善いものである」あるいは、あれは「悪いものである」と決定し、固定してしまっているのです。こうして、これらの人は、縛られ、固定化し、自由を失ってしまいます。そして、これこそが、心身いづれかの病の原因となるのです。

例えば、ある人は「宗教は大切だ。人間には宗教が必要だ」と言います。しかし、すべての宗教が、常にひとに益するものではないことを、私たちは歴史上いやというほど見聞きしています。

そもそも、宗教も無記なるものであり、それは、善でも悪でもないのです。カルト宗教は、時として、人々から、財産や命さえ奪います。しかし、宗教によって、難病が治ったり、生きる力を得ることも事実なのです。

なぜ、人は一方のみを見て、他の一方に対して盲目になってしまうのでしょうか?
それは、自由ではないからです。
自由の「由」という字の意味について、辞書を引いてみました。
「由=物事のよってきたるところ」。由来、由緒、理由などに使われています。

とすれば、「自由」とは「自らによる」と読んでもいいと思います。これはつまり、自分の内なる声、言い換えれば「真我」の声に従う、ということでしょう。

この反対が、他者依存の在り方です。他人の言うことに全面的信頼を寄せてしまうことです。つまり、選択肢は他人の手にあるのです。これは明らかに、自己喪失です。

私たちが、万事万象が無記なるものであることを悟るには、見るものを、自らの目で観る必要があります。

あるがままに人生を観てとるには、自分が自分の主人であり、他人の目ではなく、自分自身の目で対象を観察しなければなりません。そうでなけば、私たちは文字どうり、自由を失ってしまうでしょう。

自由を失えばどうなるでしょう。それは、他人の選択したものによって縛られ、管理されることになります。そして、心身は硬直し、生気エネルギーは疲弊していくでしょう。こうなると心身のいずれかの面において、病を発するのです。

すなわち、私たちが健康を害するのは、まず、心の自由性を失ったときから始まるといってもいいでしょう。

市橋宗岳

人生の成功につながる大きな幸運は、すべて「人を通じて」訪れてきます。
たとえ、自分の自信と実力を備えていても、そのことを誰も知らずに、評価もしてくれなければ、形として実現できません。

その逆に、「人から好かれることなく、人生の成功はあり得ない」ことに1日でも早く気付いて、そのための実践に励むべきでしょう。

改めて、ここで「人から好かれる」生活方法について考えてみましょう。

その絶好例として、過去30年以上にわたり多くの人々から長く好かれ続けている、無能会主の存在に準えてお話してみたいと思います。人から好かれるための大切なポイントが、三つ浮かんできます。

一つ目は、会う人の心を、温かく包んでしまう「素晴らしい笑顔」。初めて会った第一印象で、人をすっかり虜にします。円成会に入った後は、「ムノウちゃん人形」のイラストのイメージの印象が強くて、さらに「親近感が湧いて」好感度はさらに高まります。今では、ムノウちゃんの向こう側に、好人物である先生のイメージが重なっているように思えます。

二つ目は、「声の良さ」が、聞く人に「心地よさ」を感じさせます。先生のご講話を聞いていると、「心にグッ、と来て」自然と「安寧な気分」になれます。理屈や論理で人を説得することが多い現代社会にあっても、声の心地よさといった情緒面から訴えることの効果の高さが実感できます。つまり人は、「頭」からではなく、聞く者の「心」に快く響くものから感動するようです。

三つ目は、「自然体を地で行く温和なお人柄」でしょう。ストレスにまみれた一般人も、先生とお会いすると「ホッと」した気分になります。このことがきっかけになり、自分自身のストレスの中心にある重大事が、実は「大したことじゃない」と気付きます。心がほどけて、快さが感じられる瞬間です。

この三点について、無能会主はあえて特別に人から好かれようと行動されていないことが大切です。

その人が好きになれれば、その人が言うことも、自然とそのままの形で受け入れることができるように変ります。

時が経てば、自分自身が次第に自然体に変り、以前のように理屈に拘ることなく、人の話も聞き入れられるように変ったことに気付くことでしょう。そのためには、人と付き合っていく上では、是非とも「直接会って話すことが重要」だということです。

メールだけで済ましていては、こうした大きな変化は起きてきません。
そこで改めて、日々の生活の中でも実践できる、「人から好かれる」ポイントをあげておきましょう。

・原因と結果の法則に従うため、「人から好きになってもらいたい」のであれば、先ず「自分からその人を大好きになる」事から始めなければなりません

・その前に必ず実行しなればならないのは、「自分のことを、世界で一番好きになる」ことです。(自分でも好きでもないような自分であっては、他人も絶対に好きにはならないでしょう!)

・会った時には「相手に与えるようにしましょう」。それも、いくら与えても自分の持分が減らない「話を熱心に関心をもって聞く時間、話への同意、微笑返し、ほめる、元気で明るい気分、明るい言葉、楽しい時間、豊富な知識など」を、毎回与えましょう。相手は、会ったときのこの快感が忘れられなくなって、必ずまたあなたと逢いたくなります。そして、時を経て、大好きになります。

・「他の多くの人達と共通した点が多い」人は、相手を緊張させることが少ないため、気楽に付き合えます。そのことはすなわち、「人が良さそうで安心でき、親しげで誠実そうな容姿」の方が有利といえます。逆に「美人」「金持ち」「エリート」よりも、「より好かれやすい」といえるのです。

・相手を笑わせることができたら、もうそれだけで勝ったようなものです。「笑い=快感」ですから、好きな相手になるための入口の関門を越すことができます。

・人は、「人気のある人」や「ニュースな人」に惹かれます。これは、自分から自慢したのでは効果がありません。当面はウソでも構わないので、他の人に頼んで「自分の良い評判」を撒き散らしてもらいましょう。但し、ウソは必ず、後で埋め合わせておきます。

日々の生活を振り返えってみると、世間では「理屈に勝って勝負に負ける」状況が多く見られます。なぜ、理屈であっては負けてしまうのでしょうか。その理由は、脳科学からも明らかで、「人は、理屈によって決して好きにはならない」ためだったのです。大好きは、情緒の世界で起きることだからです。

特に、男性は、本人も気付かないうちに、女性からもてたい一心から、「金持ち」「成功者」「有名人」「トップ・アスリート」などの「理由の達成」を目指しがちです。

それでも、こうしたアプローチ法は、女性の側からすれば、「男性を大好きになるための、ほんの一部分の理由にしか過ぎない」ようです。

男性については、「イケメン」も含めて、そうした経済的や社会的な優位性を備えることは魅力条件になるのは確実です。そうであっても、こうした条件は、大好きになるための絶対条件ではなかったのです。

これ以上に、女性が「男性を大好きになる」ための絶対条件は、「一緒にいてくれて、楽しくて、心から安心できる人」の方のようです。

 美好芳子 クレマチス
花言葉(精神的な美しさ、たくらみ、高潔、旅人の喜び)

クレマチスはギリシャ語で「巻き上げる・つる」が語源
 




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