290-0025 千葉県市原市加茂1-7-9 唯心円成会発行

第319号 2011年7月号




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・他人のため、自分のため

・・・・・・・・・・・・社会共感性の心を抱く大切さ 

・・・・・・・・・・・・・・・「匂い蕃茉莉においばんまつり(美好芳子)

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無能唱元

奉仕の精神とは、何も特定の会や団体のためにボランティア活動を行なうことのみを指すのではない。
それは、日常生活の中で、人間同士互いのふれ合いの場において発揮されるべき精神で、「気くばり」「思いやり」などの言葉がこれに当たる。
言ってみれば、それは他人の役に立つことであり、他人の心に喜びを与えることである。

これは、もちろん、「他人のため」を思う精神によるものだが、自分の自己重要感を充足しつつあると言う点で、「自分のため」に行なっているのである。ただ、これについて、それをはっきりと自覚している人物は、この世では甚だ少ないといえる。

もし、それを自覚している人物なのなら、自分の自己重要感を高めてくれるそのチャンスが与えられたことを感謝するであろう。
しかし、残念ながら、この世の中には、「他人のため」に何かしてやる人間は多くいても、それを誇示したり、相手に低姿勢であることを求めたりする例が非常に多いのである。これは、「自分のため」にそれが大きく役に立っていることに気づいていない証拠である。

このタイプの人は他人に親切であり、人のためにも尽くすのだが、多くの場合、相手に「ありがとう」の言葉を期待したり、また、その尽くしてやることがいかに大変であるかを話したり、時には、それをやることを渋って見せたりするので、相手は不快感を覚えてしまうのである。そして、これの起こる元はといえば、この人物の自己重要感は、低いが故に劣等感に苦しめられていることがある。

結果として、人々の心は、このような人のもとからは、去って行く。すなわち、この人物は、自らによって自己重要感を高めることを知らず、焦って誤った手段によって、充足しようとするあまり、自分の魅力を失いつつあるのだ。

他人のために役立ち、他人に喜びの感情を生じさせる時、あなたは、それは自分のためにも大きく役立っていることに常に気づいていることが肝要である。

なぜなら、そのように自己の心を整えている者こそ、自分の魅力を常に増大させ、人心を自分のもとに魅きつけてやまない者であるからだ。

市橋宗岳

東日本大震災が起きてから100日以上がたちました。
その大災害の前と後では、日本人の心のありようが、大きく変化しているようです。
大震災前は、世の中の経済が悪いと言いつつも、今思えば、ずいぶんと贅沢な暮らしをしていました。

日本中では、当たり前のように電車は時間どおりに動き、オール電化の快適さがこれからも続くものと疑うことなく生活していました。将来も、これまでのどおり生活が続くものと確信していました。

それが予想だにしなかった大地震・津波・原子力発電所事故の三つが重なって、被災地では生命や財産など、それまでは当たり前と思われてきた安寧な生活基盤は一挙に失われました。被災地以外の地域であっても、電力不足や放射能汚染といった、SF映画並みの最悪の事態を招いてしまっています。

震災直後に石原・東京都知事が述べた発言、「今回の災害は、日本人がこれまでにしてきたことへの天罰が落ちてきたようなものだ」は、その段階で大きな物議をかもしだしました。今になって思うと、津波対策も原子力発電所に対する警戒心も不十分だったことを知ると、強い後悔の念にかられます。

100日経過しても、政治の混迷もあり、日本の社会全体が鬱々とした気分で覆われたままです。
心の中に生命の危険や将来不安が存在する時、人間の脳の働きとしては、将来に対する希望が抱けなくなります。ところが人間は、将来に対する希望を持たないと、健全な生活が送れません。

そのことから、被災地の人々の心の中には深い絶望感が漂います。
大災害の直後から、被害を受けなかった日本全国各地の人々の心の中で大きな変化が起きました。大震災の状況をテレビで見て、「何もしないではいられない」といた強い衝動を感じて、自ら被災地に駆けつけた多くのボランティアがいます。これも含めて、今でも多くの援助や支援が寄せられています。

こうした大災害時に遭遇した時、これを助けたいと思う人の心理には2通りあります。
一つは、被災した人たちの心情を思いやる「同情」の心です。もう一つは、被災した人たちの苦しみに共感する「感情移入」の心です。この二つは、どちらも被災者に共感するという点では共通しています。ただし「同情」では、被災者と心配している自分との関係は、別の立場に立っています。

「感情移入」では、「自分が被災したとした時の苦しみと悲しみ」を想像して、自らの感情も被災者と同じ立場に立って悲しみます。その上で、「この苦しみと悲しみを救ってあげたい」と決意します。今回の大震災を契機に、日本中で数多くの人たちがこの感情移入型の気持ちを抱いたようです。それが「困った人がいたら、何としても手を差し伸べて助けてあげたい」といった、数多くの人たちが互助の精神から行動を起こすことにつながったのでしょう。

大震災前の日本の、安全で恵まれた社会環境の下では、こうした互助の精神を実感する機会はほとんどなかったでしょう。例外としては、16年前の関西大震災が記憶に残る程度です。

こうした、他者に対する感情移入型の共感性を抱くこと、そこから生まれる自発的な行動は、仏教でいう「慈悲」の心に適っています。その中で、「慈」の心とは、「相手とともに自分のことのようにいっしょに喜ぶ」ことです。これに対して「悲」の心とは、「相手とともに、自分のことのようにいっしょに悲しみ」ということになります。こうした「相手といっしょに・・」という優しい思いやりが、相手の心を喜ばせ、また癒すことになります。

人は誰もが、一人では生きることはできません。どんな強がりを言ってみたところで、孤独にだけは、誰も耐えられません。
無能会主が、「独居独想」の歌の中で説かれているように、「人は、一人で生まれ、一人で死ぬ」のです。それが分かった上で、生きている間は、「多くの人と交わり感情移入したり、されたりする」ことにより、苦楽を共にしていれば、人生の荒波も楽に乗り越えることができます。

ですから、無理して一人で頑張ろうなどとは考えずに、自分が「困ったときには、必ず助けてくれる人が出てくる」と楽観的に生活した方が楽に決まっています。

今回の大震災をきっかけに、期せずして多くの人々が善意の感情移入型の行動体験をしたことで、今後は互助型の暖かい社会に変貌していく、千載一隅のチャンスになればいいな、と期待しています。

 美好芳子 匂い蕃茉莉(においばんまつり)
花言葉(幸運、夢の名、浮気な人)

茉莉はジャスミンのことで、香りのいい事を指しています。
 




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